江戸時代でも夫婦の離縁をみると、妻のほうから夫に見切りをつけて「家」をとび出すこともあり、離縁が女性にとってつねに不利ではなかった、と高木(一九九二)は述べている。そこで、もう一度わが国の離倍率を歴史的に眺めてみると、一九世紀末、一八八三年の離婚率は三八パーセントと高いのである。離婚率が急降下するのは明治に入ってからで、明治に急降下した離婚率は、高度成長期までずっと続いていくのである。つまり、明治維新がおこり、維新をおこした主導者が旧武士であり、その武家社会の強い家父長制を、庶民におしつけ、国民全体共通の規範とすることで女性の地位が低下し、「女は自分を空しゅうし主人に仕える」という体制ができあがってきたといえる。「女性の地位が夫より低く、家と主人につかえ、家事をし、離婚が罪悪という男性に有利な概念は、どうやら明治維新をおこした旧武士たちの遺品のようである。そしてこの概念が高度成長期まで続き、オイルショック後にゆらいだことは興味深い。こうした概念で人々を縛ることによって日本社会は経済成長をとげてきたのである。