19世紀は電気と磁気、電気と光との密接な関係が理解されはじめた世紀でもある。電気をエネルギーとして使った最初の明かりは、「炭素アーク灯」であった。炭素アーク灯は白い強烈な光を放ったが、音やにおいがあったり、光が不安定だったり、メンテナンスに手問がかがったり、といった欠点があった。そこで、電気エネルギーを利用した明かりの開発競争は、便利・安全・清潔な「電球」に移っていった。米国のトーマスーエジソンは、ヨーロッパ各国で行なわれていた電球開発競争の最後に満を持して加わった。ほかの発明家とちかって彼は「電球」を、発電機からソケットに至るフンステム」のなかの重要な構成要素ではあるが、しかし単なる一つと考えた。電球の向こうに巨大な利益を生む電気事業の姿が見えていたのである。エネルギーの大半を特許闘争に費やしたものの、彼は電球)の「発明者」としての栄誉と事業利益の両方を勝ち取った。とはいえ、エジソンが完成させた新しい電気の明かり、「炭素フィラメント電球」(1879年)はなお、19世紀の暗く黄色い光だった。「白熱ガス灯」は炭素フィラメント電球よりも遅く誕生したものの、しかし、はるかに明るく白い光を放ち、炭素フィラメント電球の普及を妨げた。これは、産業の最後に輝く「帆船効果」によるものである。電球が明るく白い光を放って、20世紀の明かりとして急速に普及していったのは、各国の金属フィラメントの技術開発競争の末に勝利を収めたゼネラルーエレクトリック(GE)社の、ウィリアムークーリッジによる「タングステンフィラメント電球」(1908年)以降のことである。加えて、同僚のアーヴィングーラングミュアによる「ガス入り電球」(1913年)によって電球のドミナットーデザインは確定し、「第2の白い光のイノベーション」となった。